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占星学と芸術を見極める時の三つの指針 2019年07月10日
気質、世界観、美意識はそれぞれ違う。――占星学と芸術を見極める時の三つの指針
【気質】
気質は、その個人の遺伝的に受け継いだものや後天的環境、そしてその時の肉体的条件を色濃く反映するものであり、その人がすでに人間世界で表出しているものを必ず含む。芸術作品というよりは、芸能活動である。
「牡羊座は勇ましい」とか「乙女座は細かい」などはこの水準の判断である。また、伝達する際には、言葉や数字などの、思考の共通単位を前提とする場合が多い。よって、各々の個体によって異なる主観(というより「立場」的なもの)の共通合意部分を前提とする場合が多く、そのため、統計的多数決的判断に委ねたりする場合が多くなり、その意味で絶対的性質に欠ける。
心理学を含む科学の分野における人間観察はこの水準であり、個体差がない部分を絶対とする。この方法によって、医学など、人間の個性というよりも、他の動物と比較した場合の絶対的な特徴をつかむことに成功し、大きな成功を収めてきた。その一方で、人間が人間を見る時の共通認識だけによって人間の個性を見極めようとする心理学といった分野では限界を呈している。
もともと、どうして人間は同じだという視点から人間の違いを見極めることができるというのであろうか。
気質論に沿うだけだから素晴らしい芸術体験にはならないということにはならない。具体的でその場限りの個別の事象が現場の個人個人において普遍的な体験をもたらすということは、ある意味、芸術体験の基本ですらある。
【世界観】
世界観は、その人の頭の中の世界という点では、美意識と似るが、現実にほぼ完全に照合する媒介を持っているという点で異なる。たとえば、映画作品は、抽象的なものを具象的に表現しようとしている。つまり、それ自体は抽象化の方向を向いていない。そのため、映画監督のホロスコープが完全に作品と一致することはない。監督は自分の世界観を、役者やセットという具体的な媒介を通して再現しようとしているのであって、監督の皮膚感覚は俳優の皮膚感覚とは異なる。
ここでも、映画は具体的だから芸術作品ではないということはまったくない。鑑賞する個人にあてて自分の世界観を伝えようとすることは、文字通り、数字や記号で伝える場合とは違い、創作・再現関係者と鑑賞者の間の差異を無視すると同時に意識して乗り越えようとする、伝達の葛藤とスムーズさがあり、それらのうちから、鑑賞者の唯一無二の独自体験が生まれるからだ。
【美意識】
美意識は、芸術の真髄に当たるものであるが、音楽作品では聴覚だけ、美術作品では視覚だけという風に、他の知覚媒体を省略することによって、抽象性を保ち、永遠性を獲得する。真の芸術鑑賞も占星学研究も、この視点なしにはありえない。省略が象徴を生むということ、形式と内実が一致するということは、この次元において初めて達成される。それによって20世紀以後の人類が幻惑されてきた、言語と数学による認識の分析から漏れ出たものをすくうことができる。その意味で、芸術分析も占星学も高度な知的活動であり、これなしには、新たなさらに高度な認識を我々が為すことは不可能である。
この意味で、西洋占星学は、ずばりこの「美意識」を捉えることができる。西洋占星学は感じ方の形式の学問でもあり、少なくとも予言やオカルトではない。こうして西洋占星学によってダイレクトに美意識をつかむことによって、その人の世界観、そして気質にまで拡張して解釈することができる。
これらの事実のために、西洋占星術の初学者たちは、一般の教養をもってしても、西洋占星学の実在性の確信がつかめないことがある。それは芸術作品の実在性への確信がつかめないのと同様である。従来の学問体系への意識に依存しているだけでは、この分野を確信することはできない。ましてや、「科学的なものしか信じない」というオカルティストには、知的・教養的に縁のない分野であるということは残念なことです。
占星学研究の一つの参考になれば幸いです。
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