東洋・西洋占星学研究の第一人者 上田きょうやの公式サイトです。

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ピンク・フロイド「原子心母」解説 
原子心母
Atom Heart Mother
/(作曲:David Gilmour, Roger Waters, Richard Wright, Nick Mason & Ron Geesin)

1. 父の叫び - /Father's Shout/
2. ミルクたっぷりの乳房 - /Breast Milky/
3. マザー・フォア - /Mother Fore/
4. むかつくばかりのこやし - /Funky Dung/
5. 喉に気をつけて - /Mind Your Throats, Please/
6. 再現 - /Remergence/

聞き所二箇所

(13:20~)からのコーラスとメインテーマへの回帰
22:40〜43の金管の旋律

牛を写しただけのジャケットは、当時の環境下で”ATOM HEART MOTHER" というタイトルで見れば、瞬時にして「宇宙船 母なる地球号の命運」といった内容だと予感させる、秀逸なもの。

 序奏部はブルックナー開始のような予感に満ちた低音と、それに乗って様々な管楽器の音の破片が散りばめられる。これらはしばしば不協和音的で特に当時としては前衛的だったに違いないが、通して聴けば十分に音楽的で、メロディー自体というよりも、「尖った象徴」を提供している。しかもこの音の破片は、のちに各々の部所において本領を発揮する。ここはあくまで「提示部」である。それは、人間生命の原初の無意味なありさまを呈し、そして、なにか意表を突かれた心理を表すような奇矯な(乙女座らしい)ブリッジを経て、メインテーマが出る。(1:25〜)

 これはその後も曲全体を通じて何度も繰り返され一種のロンド形式になっている。この「宇宙船地球号」の旋律は私達にその命運を問うかのようにこれから数回に渡って、雄々しく、ときには悲劇的に打ち出される。続いて、散乱するトランペット音からオートバイの出発の音まで。原初からの愚かな人類の種族間闘争である。この闘争は決して大がかりな爆音でなくて良い。むしろ太古から続いている、開けた野の空気感を伴う戦乱の音であるべきだ。(「父の叫び」1:55~

 ここまで書いて再認識したのはこのように具象的に表現された芸術で本当に音楽的価値の高いものこそが、言葉での表現が難しいということである。このオートバイの出発が私達の心に与えるものはなんだろう?名状しがたい1つの新たな出発への想いである。その出発は自分ではないかもしれない。自分かもしれない。とにかく私達の心に去来する一つの原体験である。

 この一つの「オープニング」を終えて、メインテーマがもう一度演奏される。(2:21~)こうして同じメロディーにて人類の違う場面へと私達の目を向けさせる。(「ミルクたっぷりの乳房」2:53〜)生命の起源それとも幼少期または胎児の記憶から、緩やかで滑らかなギター(3:57~)。こうしてメインテーマに続く第二主題部分が確立して提示される。

 続いてギターにリードされたメロディーは徐々にメインテーマの旋律の役割を果たし、切ない、運命とも意志とも言えない苦々しい色合い次ので場面を切り開き(4:25~)、女声により次の主題に入る。(「マザー・フォア」5:23〜)先のものよりも人間の声であるだけに人間的感情の訴えが強いかもしれない。聖なる悲しみの歌。静かな何も主張しない、漠然とした無心の、それだけに切実な人類の訴えである。

 更に続いて、後のピンク・フロイドによく見られる、キーボードとベースによる転調的展開(「むかつくばかりのこやし」10:12〜)。そこから広がる空間においてギターソロが繰り広げられ、その後、地球のはずれの異教徒たちのような、しかしヒューマンな歌が重なり合い(13:20~)、衝き上げるように一つの叫びにまとまり(14:30~)、最初のクライマックスを迎え、メインテーマが爆発する(14:50~)。
 その後(15:27〜「喉に気をつけて」)、フリーキーで強迫観念的に印象が散乱する電子音楽から、電車の通過音と爆発、さらに爆発のあとの宇宙空間の虚無から復活するように様々な過去の旋律が再現され、膨らみ、ついにメインテーマが変奏曲となって再現される(19:12~)。

 そしてもう一回、最初の第二主題が奏でられ、「再現」(19:42〜)される。

 そしてラストのメインテーマがどちらかというと地味に始まり、しかし途中で収束することなくもう一度盛り上がり、フィナーレの全奏にいたってこの曲を締める。22:40〜43の金管の旋律は見事で、栄光の裏にある人類の醜さ、嫌になってしまうようなやるせないどうしょうもなさ、それでも生物として確固として現実に存在し意識し進んでゆく、進まざるを得ないその苦々しい姿を、諦めともかすかな希望とも言いがたい形で痛切に実感させる。ここが第二のクライマックスである。

 本作品は、その空気感と緩慢なリズムから、豊かで緩い良さを持つ作品のように取られがちだが、実際には隅々まで計算し尽くされた傑作であり、人類とは何かという必ずしもロックにはふさわしくなかったかもしれない壮大なテーマを他の分野の音楽以上に的確に包括している。

 のちに、日本のトリビュートバンド「原始神母」による演奏を聴いて再認識したのだが、これはクラシックであると同時に明らかにロックである。繰り返されるメインテーマは奏でられるたびに強烈な衝撃を持つ。これはベートーヴェンの交響曲でも、オペラにおける様々な象徴でもなし得なかった、具象音楽の一つの金字塔である。概念を持ちながら音楽がそれに決して負けることがないという、初めての異常状態である。(これを越えるものはサンタナの「キャラバンサライ」しかないかもしれない。)
 また、音楽は乙女座のロジャー・ウォーターズのあたかも対象がそこに存在しているかのような確固とした、しかしときには感情的でない進行に、魚座の影響の強いデヴィッド・ギルモアとリチャード・ライトが非常に豊かな音楽的表情を与え、それは少なくともアルバム「炎」までは良い形で続いていた。






【Live】原始神母2016「Atom Heart Mother」(pinkfloyd tribute)@161027Chicken George



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占星学と芸術を見極める時の三つの指針 
気質、世界観、美意識はそれぞれ違う。――占星学と芸術を見極める時の三つの指針

【気質】
 気質は、その個人の遺伝的に受け継いだものや後天的環境、そしてその時の肉体的条件を色濃く反映するものであり、その人がすでに人間世界で表出しているものを必ず含む。芸術作品というよりは、芸能活動である。
 「牡羊座は勇ましい」とか「乙女座は細かい」などはこの水準の判断である。また、伝達する際には、言葉や数字などの、思考の共通単位を前提とする場合が多い。よって、各々の個体によって異なる主観(というより「立場」的なもの)の共通合意部分を前提とする場合が多く、そのため、統計的多数決的判断に委ねたりする場合が多くなり、その意味で絶対的性質に欠ける。
 心理学を含む科学の分野における人間観察はこの水準であり、個体差がない部分を絶対とする。この方法によって、医学など、人間の個性というよりも、他の動物と比較した場合の絶対的な特徴をつかむことに成功し、大きな成功を収めてきた。その一方で、人間が人間を見る時の共通認識だけによって人間の個性を見極めようとする心理学といった分野では限界を呈している。
 もともと、どうして人間は同じだという視点から人間の違いを見極めることができるというのであろうか。
 気質論に沿うだけだから素晴らしい芸術体験にはならないということにはならない。具体的でその場限りの個別の事象が現場の個人個人において普遍的な体験をもたらすということは、ある意味、芸術体験の基本ですらある。

【世界観】
  世界観は、その人の頭の中の世界という点では、美意識と似るが、現実にほぼ完全に照合する媒介を持っているという点で異なる。たとえば、映画作品は、抽象的なものを具象的に表現しようとしている。つまり、それ自体は抽象化の方向を向いていない。そのため、映画監督のホロスコープが完全に作品と一致することはない。監督は自分の世界観を、役者やセットという具体的な媒介を通して再現しようとしているのであって、監督の皮膚感覚は俳優の皮膚感覚とは異なる。
 ここでも、映画は具体的だから芸術作品ではないということはまったくない。鑑賞する個人にあてて自分の世界観を伝えようとすることは、文字通り、数字や記号で伝える場合とは違い、創作・再現関係者と鑑賞者の間の差異を無視すると同時に意識して乗り越えようとする、伝達の葛藤とスムーズさがあり、それらのうちから、鑑賞者の唯一無二の独自体験が生まれるからだ。

【美意識】
美意識は、芸術の真髄に当たるものであるが、音楽作品では聴覚だけ、美術作品では視覚だけという風に、他の知覚媒体を省略することによって、抽象性を保ち、永遠性を獲得する。真の芸術鑑賞も占星学研究も、この視点なしにはありえない。省略が象徴を生むということ、形式と内実が一致するということは、この次元において初めて達成される。それによって20世紀以後の人類が幻惑されてきた、言語と数学による認識の分析から漏れ出たものをすくうことができる。その意味で、芸術分析も占星学も高度な知的活動であり、これなしには、新たなさらに高度な認識を我々が為すことは不可能である。
 この意味で、西洋占星学は、ずばりこの「美意識」を捉えることができる。西洋占星学は感じ方の形式の学問でもあり、少なくとも予言やオカルトではない。こうして西洋占星学によってダイレクトに美意識をつかむことによって、その人の世界観、そして気質にまで拡張して解釈することができる。
これらの事実のために、西洋占星術の初学者たちは、一般の教養をもってしても、西洋占星学の実在性の確信がつかめないことがある。それは芸術作品の実在性への確信がつかめないのと同様である。従来の学問体系への意識に依存しているだけでは、この分野を確信することはできない。ましてや、「科学的なものしか信じない」というオカルティストには、知的・教養的に縁のない分野であるということは残念なことです。
 
 占星学研究の一つの参考になれば幸いです。

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『1億人のリズム英語』 
松本道弘先生の『1億人のリズム英語』
昔、出ていたものです。









いや、お恥ずかしい。

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アダモファンページ移行のお知らせ 

私の私設サイト「アダモ・ファン・ページ」のアドレスが変更になりました。

旧)http://www.pastelnet.or.jp/~kyoya-u/adamo/ADAMOindex.htm
 ↓
新)http://www.kinet.or.jp/kyoya-u/adamo/ADAMOindex.html

今後ともよろしくお願いいたします。









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川瀬 巴水(太陽牡牛座・月天秤座) 
川瀬 巴水(かわせ はすい、1883年(明治16年)5月18日 - 1957年(昭和32年)11月7日)大正・昭和期の浮世絵師、版画家。

 この人の作品は、一目見て、構図の絶妙さと、色合いの感覚の確かさという点で、あふれかえるような才能の持ち主だと感じられるものばかりで、私は久々に先日、日本橋高島屋で見て、その想いを確認しました。
明らかに強力な美意識に裏打ちされた作品群で、作者のホロスコープを調べてみると、
太陽牡牛座・月天秤座・金星火星牡羊座でコンジャンクションと、私の定義するところの芸術家の美意識のあり方にぴったりと一致します。

 浮世絵や版画というとたくさんの天才たちと追従者がいるために、そのうちの一人のようにとらえられますが、その中でもこれほどの存在感を発揮できるということは、ずば抜けた天才だといえます。
 おそらく、半分無意識ですいすいと描いてしまうというタイプの才能ではなく、1つの風景を見た時点で、一般の人には想像できないほどの莫大な情報を感知し、(それだけで大変うらやましいことなのですが)、そこから的確な視点と趣味を持って対象を再構成できる人なのだと思われます。一般に、前半の感受部分が太陽の牡牛座、後半の再構成の部分が月の天秤座の働きと考えるとわかりやすいですが、その逆もまた真なりです。月の天秤座がなければ、これだけの莫大な情報を感受することはできなかったともいえるでしょう。


川瀬巴水作品集
川瀬 巴水
東京美術
2013-03-29



川瀬巴水木版画集
川瀬 巴水
阿部出版
2009-05





「川瀬巴水展」
あと数日、日本橋高島屋でやっていますので、お時間のある人はご覧下さい。

http://www.takashimaya.co.jp/store/special/event







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貴方に起こる出来事

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