東洋・西洋占星学研究の第一人者 上田きょうやの公式サイトです。

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占星学と芸術を見極める時の三つの指針 
気質、世界観、美意識はそれぞれ違う。――占星学と芸術を見極める時の三つの指針

【気質】
 気質は、その個人の遺伝的に受け継いだものや後天的環境、そしてその時の肉体的条件を色濃く反映するものであり、その人がすでに人間世界で表出しているものを必ず含む。芸術作品というよりは、芸能活動である。
 「牡羊座は勇ましい」とか「乙女座は細かい」などはこの水準の判断である。また、伝達する際には、言葉や数字などの、思考の共通単位を前提とする場合が多い。よって、各々の個体によって異なる主観(というより「立場」的なもの)の共通合意部分を前提とする場合が多く、そのため、統計的多数決的判断に委ねたりする場合が多くなり、その意味で絶対的性質に欠ける。
 心理学を含む科学の分野における人間観察はこの水準であり、個体差がない部分を絶対とする。この方法によって、医学など、人間の個性というよりも、他の動物と比較した場合の絶対的な特徴をつかむことに成功し、大きな成功を収めてきた。その一方で、人間が人間を見る時の共通認識だけによって人間の個性を見極めようとする心理学といった分野では限界を呈している。
 もともと、どうして人間は同じだという視点から人間の違いを見極めることができるというのであろうか。
 気質論に沿うだけだから素晴らしい芸術体験にはならないということにはならない。具体的でその場限りの個別の事象が現場の個人個人において普遍的な体験をもたらすということは、ある意味、芸術体験の基本ですらある。

【世界観】
  世界観は、その人の頭の中の世界という点では、美意識と似るが、現実にほぼ完全に照合する媒介を持っているという点で異なる。たとえば、映画作品は、抽象的なものを具象的に表現しようとしている。つまり、それ自体は抽象化の方向を向いていない。そのため、映画監督のホロスコープが完全に作品と一致することはない。監督は自分の世界観を、役者やセットという具体的な媒介を通して再現しようとしているのであって、監督の皮膚感覚は俳優の皮膚感覚とは異なる。
 ここでも、映画は具体的だから芸術作品ではないということはまったくない。鑑賞する個人にあてて自分の世界観を伝えようとすることは、文字通り、数字や記号で伝える場合とは違い、創作・再現関係者と鑑賞者の間の差異を無視すると同時に意識して乗り越えようとする、伝達の葛藤とスムーズさがあり、それらのうちから、鑑賞者の唯一無二の独自体験が生まれるからだ。

【美意識】
美意識は、芸術の真髄に当たるものであるが、音楽作品では聴覚だけ、美術作品では視覚だけという風に、他の知覚媒体を省略することによって、抽象性を保ち、永遠性を獲得する。真の芸術鑑賞も占星学研究も、この視点なしにはありえない。省略が象徴を生むということ、形式と内実が一致するということは、この次元において初めて達成される。それによって20世紀以後の人類が幻惑されてきた、言語と数学による認識の分析から漏れ出たものをすくうことができる。その意味で、芸術分析も占星学も高度な知的活動であり、これなしには、新たなさらに高度な認識を我々が為すことは不可能である。
 この意味で、西洋占星学は、ずばりこの「美意識」を捉えることができる。西洋占星学は感じ方の形式の学問でもあり、少なくとも予言やオカルトではない。こうして西洋占星学によってダイレクトに美意識をつかむことによって、その人の世界観、そして気質にまで拡張して解釈することができる。
これらの事実のために、西洋占星術の初学者たちは、一般の教養をもってしても、西洋占星学の実在性の確信がつかめないことがある。それは芸術作品の実在性への確信がつかめないのと同様である。従来の学問体系への意識に依存しているだけでは、この分野を確信することはできない。ましてや、「科学的なものしか信じない」というオカルティストには、知的・教養的に縁のない分野であるということは残念なことです。
 
 占星学研究の一つの参考になれば幸いです。

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『1億人のリズム英語』 
松本道弘先生の『1億人のリズム英語』
昔、出ていたものです。









いや、お恥ずかしい。

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アダモファンページ移行のお知らせ 

私の私設サイト「アダモ・ファン・ページ」のアドレスが変更になりました。

旧)http://www.pastelnet.or.jp/~kyoya-u/adamo/ADAMOindex.htm
 ↓
新)http://www.kinet.or.jp/kyoya-u/adamo/ADAMOindex.html

今後ともよろしくお願いいたします。









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川瀬 巴水(太陽牡牛座・月天秤座) 
川瀬 巴水(かわせ はすい、1883年(明治16年)5月18日 - 1957年(昭和32年)11月7日)大正・昭和期の浮世絵師、版画家。

 この人の作品は、一目見て、構図の絶妙さと、色合いの感覚の確かさという点で、あふれかえるような才能の持ち主だと感じられるものばかりで、私は久々に先日、日本橋高島屋で見て、その想いを確認しました。
明らかに強力な美意識に裏打ちされた作品群で、作者のホロスコープを調べてみると、
太陽牡牛座・月天秤座・金星火星牡羊座でコンジャンクションと、私の定義するところの芸術家の美意識のあり方にぴったりと一致します。

 浮世絵や版画というとたくさんの天才たちと追従者がいるために、そのうちの一人のようにとらえられますが、その中でもこれほどの存在感を発揮できるということは、ずば抜けた天才だといえます。
 おそらく、半分無意識ですいすいと描いてしまうというタイプの才能ではなく、1つの風景を見た時点で、一般の人には想像できないほどの莫大な情報を感知し、(それだけで大変うらやましいことなのですが)、そこから的確な視点と趣味を持って対象を再構成できる人なのだと思われます。一般に、前半の感受部分が太陽の牡牛座、後半の再構成の部分が月の天秤座の働きと考えるとわかりやすいですが、その逆もまた真なりです。月の天秤座がなければ、これだけの莫大な情報を感受することはできなかったともいえるでしょう。


川瀬巴水作品集
川瀬 巴水
東京美術
2013-03-29



川瀬巴水木版画集
川瀬 巴水
阿部出版
2009-05





「川瀬巴水展」
あと数日、日本橋高島屋でやっていますので、お時間のある人はご覧下さい。

http://www.takashimaya.co.jp/store/special/event







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牡羊座の音楽 バッハ・ゴールドベルク変奏曲 
#uranai #kaiun #spiritualjp #bach #music

ゴールドベルク変奏曲の、星座的観点も交えた簡単な説明です。
 バッハが音楽を手ほどきしたヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクが不眠症に悩むカイザーリンク伯爵のためにこの曲を演奏したという逸話から「ゴルトベルク変奏曲」と呼ばれているのは有名ですが、はたして伯爵はこの音楽と共に眠れたならば世界一幸福な人だったのか。それとも、この活発で知的興味をそそる音楽を理解したならばとても寝ることなどできないはずだから、分からなかったという点で最も不幸な人だったのか。ゴルトベルクは史実としては当時14歳でいくらなんでも若すぎるので、この逸話自体眉唾ですが。

アリア
これはまさに深遠な音楽を予言する、厳かで非常に豊かな「歌」です。この音楽は、作品の最初と最後に同じものが配置されています。序奏部として、あまりに見事です。

第一変奏
ガツンという強力な出だしが非常に牡羊座らしい作品で、このエネルギーの出し方こそが牡羊座なのです。またこの曲に限らずバッハはどれも、感情に耽溺しない、さくさくしたところがあり、これが彼の月の水瓶座らしいところです。この変奏は(そして他の多くの変奏も)3/4拍子(簡単にいうとワルツ)で書かれているのですが、聴いて分かるとおり不思議なリズムを刻みます。最初の四つの音が一まとまりで、次の二つがそれにくっついて、全部で6拍になっているイメージです.(4/4+2/4というか)で、これが行きつ戻りつするような不思議なリズムを構成します。しかもそれが非常にダイナミックで、メロディーより先にリズムが生み出されてゆく感じがします。これも牡羊座作曲家ならではです。牡羊座はおそらく十二星座中最もリズムが先行し、その意味でリズム感が発達しています。

第二変奏
 音楽は泉のように続きます。ここは数少ない四拍子の音楽です。牡羊座である、バッハのこれらの音楽すべてに共通することですが、音楽は情緒的になりすぎず、一つ一つの音がぽろぽろと重要な象徴を空間に配置してゆきます。聴き慣れてきたら、いつもは注目していない方の片方の手の音だけを追ってみると面白いでしょう。

第三変奏
 リラックスした、個人の空間に招かれたような音楽で、しかし、他のすべてのパートと同じように、右手と左手の音楽は完全に独立し、交錯しあいます。特に低音はゴロゴロと動き回ります。また、音楽は途中で、苦しさとも熱さともいえない咆哮を上げて展開します。しかしリズムや音型は、安易に定型化することはありません。この展開のパターンは、その後の変奏でもたびたび登場します。

第四変奏
 これもダイナミックなワルツです。伴奏低音がまず下降し次には上昇し、音楽が作られます。こんな曲の創作はどれほど楽しいものでしょう。

第五変奏
 また繊細の世界に戻ってきました。ただし速いです。このような速いテンポの表現は、作品全体の後半でも何度も出てきますが、あたかも水の流れの清冽さのようで、人間の心の中にで生まれる、さまざまな影模様を想起させてゆきます。

第六変奏
 五月雨式に流れ落ちてくるメロディーは、最後にロマンティックに積み上げられます。

第七変奏
リズムを変えた「遊び」の音楽。 ここに限らず、一つ一つの音が、熱いというよりも多少体温低めのクールに打ち下ろされるときに、私たちは、日常感情を超えた象徴の世界へと導かれてゆきます。これは、ベートーヴェンの晩年の音楽にも聴かれますが、同時にきわめて水瓶座的なものでもあります。

第八変奏
 ふたたび速いテンポの第一変奏にも似た音楽で、自由自在の展開をしながら、非常に印象的な積み上げるようなメロディーで終わります。

第九変奏
 これは一定の音楽的緊張がピンと張った中にさまざまな表情が盛り込まれ、(その点では第三変奏に似ています)そのためか、次の最初のクライマックスである第十変奏の前振りのようにも聴こえてきます。多弁で、さまざまな表情を見せながら織りなす意識の糸、その神経質なそして大胆な展開。

第十変奏 フゲッタ(小フーガ)
前半の白眉です。バッハはフーガの名手で、フーガというとまあ一つの独立した分野なのですが、本当に音楽的なものを量産できたのはバッハだけです。これは火の星座、特に牡羊座の強みでしょう。本作品は完全なフーガではないかも知れませんが、自由度が高くホモフォニー的な性質が残っているだけに、逆に非常に魅力的です。終わったときは
「スッキリ!」という感じですね。私はこの変奏が一番好きです。



第三十変奏
最後の変奏は、まさにこの作品はこう終わらなければならないのだと思わせるほど、ぴったりあてはまるものです。この部分の主題はもとは、ドイツの流行歌だそうですが、この長大な曲の最後をこのように締めくくるというのはバッハがどのような天才であるかを雄弁に物語るものです。聴きようによっては、たしかに眠れない伯爵へ語った、夢物語の連作の締めくくりにぴったりかも知れません。




バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年デジタル録音)
グールド(グレン)
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
2004-11-17


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